浅葉のブログ

役に立たないことを書きます

なんだかよくわからないものが楽しいNintendo Labo

Nintendo Laboを組み立てました。Nintendo Switchと連動する、ダンボール工作のアソビです。発表された後にすぐに、なんだかよくわからないけど面白そうというミーハー精神で予約したのですが、実際に組み立ててみると驚かされることばかり。なんだかよくわからないままに始めた作業は熱を帯び、気がつけば徹夜になっていました。
子供向けのコンテンツを侮ってはいけません。むしろ、このNintendo Labo、実は子供に向けたものと思わせつつも、大人のために作ったのではないかと思うほど、僕のような大人オタクの琴線に触れてきます。ニンテンドーSwitchの画面が説明書であり、フレンドリーな先生であり、組み立てている途中はどのパーツを作っているかわからなくなることもあるのですが、工程通りに進んでいくとダンボールとは思えないガジェットが出来ています。そしてあとあと考えると、なるほどと原理がわかる。そして押し寄せる感動。素晴らしいエンタテインメントだと思います。

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最近、ゲームも本も映画も、自分の知らないものが含まれていると嬉しくなります。新しいものに触れているときは、すぐに感想が浮かんできません。自分にとって面白かった、面白くなかったという判断が降りてくるのに、ずいぶんと時間がかかるのですが、頭を心地よく刺激されているような感覚がたまらなく良いのです。自分の中で新しいものへの理解が深まるとともに、面白かったとか、つまらなかったという判断ができるようになったり、やり遂げたときにものすごい達成感を味わうことができます。
既知のもの、自分が過去に経験したり、学んだことのあるものをベースにしたものはとてもわかりやすく、すぐに感想が浮かんできます。自分の中にある知識や経験をもとに、またはそれと比較することが容易だからです。ゲームでいうと、コマンド選択式のRPGを遊べばどこかで『ドラゴンクエスト』と比べたり、重ねたりしているのです。そこでポジティブな感想を抱くこともよくあるのですが、体験として後に残るのは、前者の新しいものに触れたときのほうが多いような気がします。たとえそれが自分にとってつまらないものでも、新しさにチャレンジ精神を勝手に読みとって、でも頑張っているとかポジティブな感想を抱いたりします。つまり、ゲームでも、同じクソゲーなら、新しさに満ちたもののほうが良い印象を受けるし、過去の名作をオマージュするのなら本気でそれを越えようとしていなければ評価は生まれにくいのかもしれません。
学生時代は自由に使えるお金に制限があり、新しいもので冒険するということがあまりできなかったので、今は反動のように新しいものを求めています。主に娯楽に関してだけなので、自分が向上しているとかそういうことは全くないのですが、ただただ楽しいです。

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